「和食」のつぼ

しきたり
−年中行事と食のしきたり−虫送り

     初夏に田植えを終えた田んぼ、8月にもなれば梅雨明けの強い日差しをうけて、青々とした稲がぐんぐんと育っていく季節です。そんな喜びの一方、稲が伸びれば、雑草もぐんぐん育ち、害虫たちもすくすく成長しているわけです。蒸し暑い気候の中、草刈りや虫の駆除、日々の水管理など、夏の農作業は大変な重労働です。

     稲作とともに生きてきた日本人にとって、稲につく虫は古くから悩みの種でした。そうした病害虫を追い払おうと、主に初夏から秋にかけて行ったのが「虫送り」という行事です。稲につくウンカなどの害虫を村の外へと追いやり、豊作を祈願する呪術的な稲作儀礼で、地域によって毎年日にちを決めて行うものもあれば、害虫が大発生したとき臨時に行うものもありました。日暮れの後、火を灯した松明を手にした人々が田んぼの畦道を練り歩き、鉦や太鼓を叩きながら虫を追い払う。さらには藁人形を燃やしたり、松明を川に流したりすることで、村の外へ害虫を追いやり、豊作を願うのが一般的な方法でした。

     こうした虫による被害は、非業の死を遂げた人物の霊が祟ってもたらされるとも考えられ、悲劇的な最期を迎えたと伝わる平安末期の武将・斎藤実盛の怨霊が虫害をもたらすとの伝承により、侍姿の藁人形を担ぎ歩いたり、燃やしたりする地域もあります。それに由来して、西日本を中心に、虫送りを「実盛送り」「実盛さん」などとも呼びます。戦前までは日本各地の農村で盛んに行われていましたが、戦後、農薬が普及して害虫の被害が減るとその多くが廃れてしまいました。しかし、現在も続いている地域や、行事が復活した地域もあります。

     以前訪ねた神奈川県秦野市下大槻地区も、一時は途絶えていた虫送りが昭和50年代に入って復活しました。今では盆行事のひとつとして毎年8月14日の夕暮れから「下大槻百八炬火」という虫送りが行われています。太鼓囃子とともに3基の神輿が畦道を練り歩き、続いて火がつけられるのは、畦道に並べられた煩悩の数と同じ108個の松明。そして行列が斎藤実盛の藁人形に近づくと、火が放たれます。燃え盛る藁人形が炎や煙とともに、災いを祓ってくれると考えられています。害虫を追い払うだけでなく、先祖供養や五穀豊穣、無病息災などの願いも込められているとのことです。

     各地で行われる虫送り、全国的に共通した食べ物は見当たりませんが、秦野市下大槻では続く健速神社例大祭に合わせ、練った小麦粉に餡を入れて焼くヤキビンが作られ、神輿の担ぎ手に携行食として持たせることもあったといいます。そのほか、青森県十和田市では蕎麦餅、同じく三戸郡では煎餅汁など、それぞれの地域で虫送りの際に共食をして、地域の親睦を深めています。

     コロナ禍の夏も3年目。今年はこうした伝統行事も少しずつ再開していると聞きます。賑やかな夏祭りや花火も良いですが、虫送りや精霊流しの光を静かに見守るのも、私はとても好きな時間です。

    清 絢

    炎に包まれる藁人形(神奈川県秦野市にて筆者撮影)
    田んぼの畦道を歩く(神奈川県秦野市にて筆者撮影)
    ヤキビン(神奈川県秦野市にて筆者撮影)
    虫追いの図(『除蝗録』、国会図書館デジタルコレクションより)

    次回は、8月17日(水)です。