「和食」のつぼ

しきたり
−年中行事と食のしきたり−お盆といきみたま

     早いもので令和4年ももう半分が過ぎ、8月が近づいてまいりました。今年も祖霊を迎える「お盆」がやってきます。ついこの間、お正月を祝っておせちをいただいたように記憶しているのですが、光陰矢の如しとはよく言ったものですね。

     正月と並んで日本人の最も大切な折目として続いてきた盆行事。家に帰ってくる祖先の霊を迎えて、家族や親戚とともに団欒しながらご馳走を共食して語り合うひとときは、祖霊にとっても何よりの供養となったのでしょう。先祖の精霊を迎えるために、仏壇や盆棚をしつらえ、供物を供えるなどして、盆の準備を行うお家も多いことと思います。

     もともと盆は、旧暦7月13日から15日、あるいは16日まで行われていた、初秋の行事です。明治以降、新暦の7月ではそれまでとの季節感が合わず、現在はひと月遅れの8月中旬にお盆の行事を行う地域のほうが多くなっています。日本の盆行事は仏教の影響が強く、仏教行事の盂蘭盆と、それ以前の日本古来より行われてきた先祖供養「魂まつり」の習俗とが合わさって形成されたものと考えられています。

     さて、お盆が先祖供養の行事であることは、日本人なら誰しも経験から知っていることですが、一方で盆行事には、「いきみたま(生見玉、生御魂)」「生盆(いきぼん)」などといって、今を生きている親たちの御魂を寿ぐ行事という一面もあったのです。

     いきみたまとは、盆中の7月15日やその前後の期日に、他所に嫁いだ娘や家を出た者たちが実家へと帰り、親たちに魚を贈ったり、食事をふるまったりする習俗で、贈り物そのものを指す言葉でもありました。亡くなった先祖の精霊に近しい存在でもある、健在の父母や親類をもてなし、長寿を祝うという意味があったのです。『東都歳時記』(1838)には「中元御祝儀、荷飯、刺鯖を時食とす。(中略)良賎生身魂の祝ひ」と記され、『東都遊覧年中行事』(1851)には「貴賤佳節を祝ふ、生身魂とて現存の父母へ魚るいを祝ふ」とあり、江戸時代には、いきみたまの行事が広く祝われていたようです。

     当時の人々は、いきみたまの贈答品に「刺し鯖」を贈っていました。『本朝食鑑』(1697)を参照すると、鯖の鱗と内臓を取り除いて背開きにし、塩をして乾燥させて作るもので、一尾の鯖のエラの間にもう一尾の頭を差し入れて、二尾の鯖を重ねたものを一刺とし、刺し鯖と呼んでいました。塩干品で保存性の高い食品だったため、この時季でも贈り物として利用することが可能だったのでしょう。江戸時代には一般的だった「いきみたま」ですが、昭和に入ると次第に忘れられ、いつしか刺し鯖が作られることもほとんど無くなりました。

     ただ、ここで思い起こしてほしいのです。今でもお盆に実家へ帰る折に、手ぶらで戻る子どもたちは少ないでしょう。自分が暮らす街の銘菓や名物なりの紙袋を一つ二つ提げて、両親や祖父母へのみやげ話とともに、家路につく。そして、久しぶりの再会を喜び、食卓を囲む。「刺し鯖」は手みやげに置き換わり、「いきみたま」の言葉は忘れられたとしても、親を大切に思う子の心は、案外、今を生きる私たちにもしっかり息づいているといえるかもしれません。

    清 絢

    四天王寺の盂蘭盆会万灯供養 ©(公財)大阪観光局

    「砂盛り」「お辻」などと呼ばれる屋外の精霊棚   (神奈川県秦野市にて筆者撮影)
    江戸の精霊棚(『守貞謾稿』、国会図書館デジタルコレクションより)

    次回は、8月1日(月)です。