十円玉にも描かれ馴染み深い平等院ですが、そのすぐ脇を流れる宇治川の中州にはおおよそ15mもの十三重石塔があります。交通の要所となる宇治の大橋ですが、かっては度重なり流失し、その原因が魚霊の祟りとされ、供養のために鎌倉後期(1286)に建立されました。
キリスト教・ユダヤ教・イスラム教など、欧米をはじめ世界で広く信仰される一神教においては、食に関しても唯一である神に対し感謝します。
日本ではどうでしょうか? 無形文化遺産登録ためにユネスコ提出された書類では、和食の要約として、多様でありかつ常に再構築されながらも、「自然への尊重」という基本的な精神にちなんでいることが表現されています。日本において、自然への敬いは文化と切り離せないものです。しかし、そのあり方は多様で、さまざまな想いが込められ受け継がれているように感じます。稲荷神社に象徴されますが、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ、倉稲魂命:うかのみたまのみこと)保食神(うけもちのかみ)などの食に関わる神をはじめ、いわゆる山の神や食材自体にたいしても、多様な敬いをもって対峙してきました。
長野県の諏訪大社において古くから受け継がれている鹿食之免(かじきのめん)には、人の都合ではありますが食す動物を説き諭すような「諏訪の勘文」があります。この言葉のうらには、複雑な思いで命を奪い食べることに向き合ったことが伺えます。
業尽有情 雖放不生 故宿人身 同証佛果
(前世の因縁で宿業の尽きた生物は放ってやっても長くは生きられない定めにある。したがって人間の身に入って死んでこそ人と同化して成仏することができる)
猟師ではしばしば「山の神に返す」と表現されますが、猟ができたことを感謝し仕留めた動物たちの一部を供えます。大分県臼杵市には鎖を頼らないと登れない崖の中腹、天然の小さな鍾乳洞に、久安2年(1146)より白鹿権現(シシゴンゲン)が祀られています。ここにはいつからか、猟師により猪や鹿の下顎の骨が供えられています。
宮崎県高千穂では、かつて猟師を営んでいた方のお話しを伺いました。猪・鹿を捕らえたときには敷地内の高台にある祠に、御神酒と共に半紙の端に含ませた心臓の血を「お祀りして、返す」そうです。家を見下ろせる場所に祀られた祠は「荒神(こうじん)さま」 ともよばれ、熊の供養もされたとのことです。お話しの中で、「今では、銃の性能が良すぎて捕り過ぎ、動物が居なくなった」、「あまり捕り過ぎたため、事故に遭った」こんな言葉が耳に残ります。
日本人における敬いには、単に感謝に終わらず、食材その物に対する畏怖、そして食材を得て食すことへの業のようなものも感じます。現代に残るさまざまな供養塔は、食に対峙した人々の想いの記録です。次の機会には、江戸時代の食に関わる供養を紹介させていただきたいと思います。
三信化工株式会社 海老原 誠治