「和食」のつぼ Vol.2

かたち・文様・敬い
−水、自然、うつろいの表現−

     日本人は自然を敬う思いが強いと良く聞きます。本当でしょうか? 海外の方も、自然を敬っているはずです。とはいえ若干でしょうか、日本では自然への思いが、より滲み出てしまったのかも知れません。
     例えばカードゲーム、 西洋であればトランプであったりタロットカードであったり描かれているのは富・権力・武力・階級などです。一方、誰しも真っ先に思い浮かぶ日本のカードではどうでしょうか? 花札など、遊びであり時には博打の道具にすら、うつろいや自然を表現するとは…、なんて民族でしょう。 それ以外にも俳句の季語など、自然が不可欠であるものは多く目にします。あらゆるところに自然を感じるのが日本人のクセかもしれません。
     日本の自然観の根幹として、しばしば水との関わりが指摘されます。よくよく思い返してみれば水の表現は本当に豊かです。雪・露・零・霜…、雨冠の漢字を思い浮かべても、その多様性に疑う余地はありません。雲・霧・霞・靄、すべて白く漂う水の粒子ですが、僅かな差を捉え区別してきました。中国をルーツとしつつも、海に隔てられ長い年月を経て、独自の感受性として受け継がれています。
     身近な水である雨も単に大雨・小雨ではなく、しぐれ・五月雨・村雨・春雨・にわか雨・狐の嫁入り・梅雨・夕立・秋霖…、なんと大胆で繊細なのでしょうか。そして、なぜ、この様な表現力が育まれたのでしょうか? 当たり前ですが、人は水がないと生きられません。飲むだけでなく、食料生産ができず食べることもできません。概算では、食す穀物の1,000〜3,000倍の水が必要です。ですから、季節のうつろい、お天道さまの様子、雨水のこと、いま以上に常に身近で大切に接したことでしょう。きっと僅かな違いもすぐに捉えられたでしょう。違いが分かれば、表現も容易かもしれません。多様な表現には、季節や天候や水・自然に対し、日本人が畏れ敬う気持ちが見え隠れしているように思います。そして食の場にもその日本人の気持ちはにじみ出ています。例えば、盛り付けや和菓子・器にも、水や自然のうつろいが表現されます。
     草や蔓を表現したアラベスクは、地中海で生まれシルクロードを経て、極東の日本で旅を終え、唐草として新たに育まれました。流れ込む様々な文化を受容しながら、海で隔てられた空間で、独自の自然観を育んだのが日本のように思えます。

    三信化工株式会社 海老原 誠治

    雨降り文
    雨降り文の側面に雷文
    青海波
    墨はじきの唐草に月と兎波
    流水にもみじ
    雪の輪のかたちに雪の輪文と梅と笹
    アラベスクのタイル_トプカプ宮殿@イスタンブール
    東洋のモナリザの両脇を飾る唐草_@バンテアイ・スレイ_カンボジア
    手刷りの花札 松井天狗堂