現在でも日本に限らず、さまざまな敬いを目にします。唯一の神や八百万の神、山の神・海の神、それぞれの国・民族・文化・想いごとに、時には神、時には神としての自然を敬い、供物を捧げたりして敬ってきました。さまざまな敬いがある中で、アニミズムと仏教の影響でしょうか、日本でのそれは、比較的多様かもしれません。
「一寸の虫にも五分の魂」などは、多くの方が耳にするでしょう。草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)という言葉がありますが、日本における敬いの対象は、単に神への感謝に終わらず、食材、さまざまな命、資源や道具に対してまで広がります。江戸時代でも、草木・魚海類・鯨・熊・鳥獣・猪鹿・針、そして私達が一方的に「害虫」と呼ぶ虫にまでに至り、供養した碑がのこります。特に人間が自らの手で殺す生き物に対しては、人間も獲られる生き物たちも共に命がけです。愛護などではなく、共感、同じように生きる立場としての憐憫、そして畏怖、食材を得ることの業のようなものも感じます。敬いは、生き物は等しく涙し悲しみ、友や親や子を想う情念があることを伝えるようです。
山口県長門市には鯨の胎児の墓があります。京都の伊根地区にも生まれて間もない幼い子鯨の墓があります。
鯨をとりしが子鯨母鯨にそふて上となり下となりて其情態甚親しく、既に母鯨の斃る頃も頑是にき児の母の死骸にとり付て乳を飲む様にも見へたり、よって屡々これを取除んとすれども遂に離れず、無據子母と共に殺すに至る、いかなねものも其様を見ては其肉を食ふに忍びず、此處に葬りて墓を建て供養せりといふ(『丹哥府志』)
宮崎県油津港にも、鯨の胎児の墓があります。ここには、母鯨の瞳も共に葬られています。せめて少しでも さみしくないように、せめて少しでも見守れるように、そんな想いを感じます。出前授業のあと、小学校3年生の児童から感想をいただきました。
感想からは、「せめて生まれ変わり、次には人間につかまらず幸せに暮らして欲しい」、 この様な想いを感じます。このような気もちを育んだ文化、大切にしていきたいと思います。
追記
現在、食に関わる多くの供養塔が保護されず、時には市区町村の文化財の指定から外れ、時には伝承が途絶え所在が不明となり、また土砂災害で失われることも少なくありません。この様な状況も、気に留めていただけますと幸いです。
三信化工株式会社 海老原 誠治