陸上選手は10月になると、シーズンオフに入る。一年間、競技のために食べたいものではなく、食べるべきものばかりを食べてきた選手は、そこで欲望を爆発させる。アメリカの選手は大体ハンバーガーと、それからかなり甘いケーキを食べる。ヨーロッパの選手はそれほどでもないものの、デザートをよく食べていた。それで、私は何を食べるかというと薄い鰹出汁のうどんやお茶漬けを食べる。
もう20年ほど前でも、日本食は欧州のあちこちにあった。寿司も天ぷらもあったけれど、あの鰹出汁のうどんはなかった。日本について成田空港か、または都内に移動してきて、新宿で乗り換えの時に食べることが多かった。どれだけほっとしたことか。そういえばやさしい味というのは日本食以外であまり聞かない表現だが、まさにやさしい味がした。
アメリカに2年ほど住んでいて、少なくとも私が住んでいたカリフォルニアの近くでは、比較的太りやすいものを子供がよく食べていると感じた。子供の時に食べているものが人間にとっての懐かしく恋しい味になる。ほっとする時、つい食べたくなる味だ。
どの味が自分にとっての恋しい味になるかは、将来の自分の体型に影響してくる。よく日本人はどうしてあんなに痩せているのかと聞かれるが、食事の量もあるけれども、やはり幼少期の味の影響が大きいのではないかと思う。「緑茶で日本人は痩せているんだ、みんな緑茶を飲もう」という広告をその頃よくみたけれども、多分違うと思う。大して太らないものをほっとする味として覚えていることが少なからず影響しているのではないだろうか。
アメリカであれほどトレーニングジムやスポーツ産業が発展するのも、その裏返しかもしれない。日本でトレーニングジム産業が大きくならないのは、運動しなくてもそれほど太らないからかもと思うと、スポーツ産業界にいる身としては微妙な気持ちではあるが。
引退して、いくらでも酒が飲めるようになってからは、とにかく日本酒と組み合わせる食べ物が好きになった。ぬた和え、鯛の刺身、ホタルイカの沖漬けが大好きだ。
かなり久しぶりに昔の友人のオランダ人のfacebookをみたら、もういくらでも酒が飲めるとハーリング(ニシンを発酵させたもの)とビールを飲んでいる写真がアップされていた。みんな最後は自分のほっとする味に帰っていくのだろう。
Deportare Partners 代表 為末 大


