私は小さい頃好き嫌いが多く、どこに行っても両親を困らせていました。刺し身や焼き肉、ネギやナスなど、食べられないものが多かったのです。何を好んで食べていたかというと、卵とおかゆです。そう、うちの名物です。でも私が食べていたのは、切り損じた半熟玉子や冷めたおかゆ、そして冷めた葛あんでした。朝がゆを提供しているときは毎日のように食べていました。おかゆは熱々で食べたいと思われる方も多いと思いますが、実は冷たくても美味しいんです。熱々の時よりもお米の味が良くわかります。冷たいおかゆに冷たい葛あんをかけ、混ぜないでスプーンでいただきます。そうすると、お米とだし(利尻昆布と鮪節)の味と香りがよくわかり、しみじみ美味しいなと思っていました。そこに形の崩れた半熟玉子を入れ、さらに葛あんをかけて食べると、なんとも言えないご馳走になりました。
人間の舌は70℃以上だと味を感じ取り難いと言われています。実際熱すぎると、舌を火傷するだけで味がわからないことがほとんどです。熱々の吸物をいただくとき、日本人は必ずすすります。すするとは、音を立てながら空気を含ませることで、吸地の温度を下げながら味と香りを楽しむことができます。うどんやそばのように音を立てながら食べる作法は、日本の食文化を楽しむうえで欠かせない食べ方です。しかしながら、外国ではそのような食べ方がタブーですので、外国人ですするのが苦手という方は多いと思います。
日本料理の普及とともに、だしは世界中で認知されるようになりました。日本人は、飽きを通り越して病み付きになるぐらいだし好きですが、外国人にとってはそうとも言えません。鰹節のように燻した香りが強いものは、慣れない人には非常に香りが残りやすい。以前研修に来た外国人シェフに、「だしを使うと、どの料理も同じ香り、印象になる。」と言われたことがあります。確かにその通りで、香りはその国の料理や料理人のアイデンティティーを表しています。それは食文化の特徴を生かした長所でもあり、短所でもあります。食材や情報の流通、技術交流に伴い、料理の国境線は無くなりつつあるものの、だしの味と香りは非常に特徴的で、食べ手の印象に強く残ります。懐石などコース料理において、以前はほとんどの料理でだしを使っていましたが、時代の嗜好とともに変化し、現在は魚の骨や野菜のヘタなど、様々な香りを生かしたスープで料理を仕立てるようになりました。そのため、だしをひく量は昔に比べて2/3程度まで減りました。複数の料理にだしを使うのではなく、ピンポイントに煮物椀で使うことで、だしの表現力は突出します。使用量は減っても、だしを大切にしていることに変わりありません。今ではお客様の三割は外国人になりました。グローバル化することで、大事なものをより大切にすることの意味を改めて実感しています。やはり私の体には、だしという血液が流れているようです。
※わかりやすいように、「だし」(瓢亭は利尻昆布と鮪節)と「スープ」(その他の食材)という言い方を使い分けています。
瓢亭 十五代目主人 髙橋義弘
次回は、12月2日を予定しております。