一年でいちばん日が短い日、冬至。冬至といえばゆず湯につかることを思い浮かべるかたも多いかと思います。そこで今回はゆずのお話を。
ゆずは実が熟すまでの過程を季節ごとに姿、香り、風味を楽しむ和のハーブのようなもの。西洋のハーブは年間を通して同じものですから、他の国にはない独自の食文化の一つだと思っています。木の芽から花山椒、実山椒と楽しむ山椒とともに、ゆずはそんな食材の二大巨頭。5月頃白い花をお吸い物に浮かべ、梅雨時には1cmに満たない小指の先くらいの大きさの青ゆずを半分に切ってお椀に。盛夏には3~4cmほどまで育った青ゆずの皮をおろしてそうめんや小芋に振り掛け、その清涼感を楽しみます。その後黄色いゆずになるわけですが、そのゆずが熟していちばんおいしくなるのが12月です。その頃にいただくとっておきの食べ方をご紹介しましょう。至ってシンプルな「柚子ごはん」。炊き立てのごはんにおしょうゆを少しだけ垂らし、ゆずをぎゅっと搾ります。これが一番おいしいゆずの味わい方だと思っていますが、そのゆずは、私にとって京都・水尾のものでなければなりません。
嵐山の奥に位置する水尾はゆずの名所で、その地のゆずの香りは格別です。形もボールのような丸いものも多く出回る中、肩が張った姿も美しく、ゆず釜には水尾のものが欠かせません。また一面のゆず畑の風景は、それは素晴らしいものです。その地域のゆず農家さんはみなさん「松尾さん」とおっしゃるのですが、それぞれ贔屓のゆず農家さんがあって、伺うと柚子風呂を用意してくださっていました。そしてその後はそのあたりで放し飼いして育てられた鶏と地の野菜で作ってくださった水炊きをいただいたものです。水尾は鶏の産地でもあるのです。
ゆずの話に戻ると12月中頃にいちばんおいしくなるゆずも、年末には収穫を終えてしまいます。その頃には形の悪いもの傷のあるものも入るようになって1箱2000~3000円とお求めやすくなり、皮よりも果汁を搾って使ったり、惜しげなく柚子風呂に使ったりするようになります。ゆずの香りが邪気を払うとされ、癒しにもなるという理由ももちろんありますが、柚子風呂などにも使いやすくなるのがちょうど冬至のころです。
さて、ゆずの他に冬至の食文化としてかぼちゃを食べることもよく知られていますね。夏に収穫後、野菜が少なくなる冬まで保存できて栄養価も高いため、かぼちゃが重宝されたといわれています。けれども私は、冬には大根やにんじん、葉物などのおいしい野菜がたくさんあるのになぜだろう?とずっと疑問に思っています。
私が冬至にかぼちゃを食べるのは「うん(運)、どん(鈍)、こん(根)」のため。その三つが揃ってはじめて人間は出世するので、このめでたい「ん」の字重ねにあやかって「ん」の字が二つつくものを食べる、という風習です。かぼちゃは南瓜とも言いますので「ん」が二つつきますね。昔はなんきんの他、にんじん、れんこん、ぎんなん、かんてん、うんどん(うどん)、きんかんの七種を食べていたそうですが、いつの間にか南瓜だけがのこったのでしょうか。私の母の時代には甘く炊いた金柑や酢蓮根などは食べていたそうです。
冬至には古代中国で生まれた「一陽来復」という別名があります。「冬が去って春が来る」、「凶事が続いたあとにようやく運が向いてくる」といった意味がありますが、今が一番底で、この日を境に明日からはほんの少しずつでも日が長くなり、その分春が近づく。日がいちばん短いことを嘆くのではなく、明日から日が長くなっていくことに希望をもつ。コロナに関しても、今が底で、やるべきことをしたうえで、あとは少しずつ終息に向かっていくと希望をもつ。日本人の前向きな考え方を忘れずに過ごしたいものです。
後藤 加寿子
次回は、1月1日 正月(しょうがつ)です。