くらしの歳時記

10月8日 寒露 かんろ

     秋分から15日目頃は二十四節気の一つ寒露で、今年は10月8日です。空が澄み、秋が少しずつ深まる頃でもあり、夕暮れが早く訪れるようにもなります。
     秋は収穫の時期、新米はもちろん、柿、梨、ぶどう、りんご、みかん、栗など楽しみが増えます。それぞれの果物の品種は多様ですが、最近は少なくなったとはいえ家々の庭でみかけるのは柿の木です。まだ色づかないものもあり、すっかり赤くなったものもあり、種類が違うのかもしれません。
     私の住む町から少し北にいくと、10世紀初めの開山とされる王禅寺があります。王禅寺村は二代将軍秀忠の正室お江与(お江)の領地(御化粧領)でしたが、その後徳川家の菩提寺芝増上寺の領地となりました。その寺に禅寺丸とよぶ柿の原木があります。14世紀末、山中にあったものを移築したと伝えられています。久しぶりに訪れると、老木には、少しだけ葉が残っていましたが、実はみられませんでした。
     禅寺丸柿は、江戸時代から寺周辺の村々で栽培され、江戸に出荷されました。明治20年以降、柿生村となってからも東京、名古屋方面まで出荷されましたが次第にその数は減りました。その柿は、小粒で種があれば甘柿になる不完全甘柿に分類されます。
     いっぽう、渋柿は、古くから渋を抜く工夫が行われました。もちろん抜くわけではなく渋みの正体であるタンニンを不溶化させるのですが。子どもの頃は干し柿以上に、湯によるさわし柿の方が多かった気がします。蓋つきの壺に柿を入れて人肌よりやや高い湯を注ぎ、布団などをかけて保温した記憶があります。甘くて少しとろりとした柿の味は、甘柿より好きな味でした。
     江戸時代の料理書のなかに柿衣という干し柿の料理があります。へたをとり、種をとり袋状のまま焼き栗を入れ小麦粉で穴をふさぎ、油で揚げると出来上がり。今なら、甘栗を入れると切り口のかわいい菓子になります。
     渋柿はその渋も大切で、果汁を搾り、発酵させて柿渋を作りました。防腐、防水作用があり、漁網に塗り糸を腐敗から守ったり、うちわや和傘、扇子、敷物などに使う渋紙を作ったりするためにも活躍しました。柿をめぐる人々の営みを想像しながら、秋空のもと、柿の木を訪ねながらの散歩も楽しいものです。
     

    王禅寺の禅寺丸柿の原木
    柿衣(参考:江戸時代の料理書『素人庖丁』)

    江原 絢子

    次回は、10月23日 霜降(そうこう)です。