秋分は二十四節気の一つで今年は9月23日である。この日は昼と夜の時間が同じになり、23日を境に昼の時間が短くなっていく。明るく暑い夏の景色は秋色に変わり、収穫の秋、行楽日和、紅葉など心がウキウキする情報が飛び交うが今年はコロナでままならない。
秋分の日は日本独特の先祖崇拝の信仰風習行事であるお彼岸の中日でもある(彼岸入りは9月20日、中日が23日、彼岸明けは9月26日)。仏になった先祖の住む世界が彼岸であり(現生は此岸)、夜と昼が同じになるこの時期に帰ってくるという。国民の祭日でもあり、お墓迎えの情景は子供のころの記憶が走馬灯のように思い出される。その一つに田の畔に咲く真っ赤な曼殊沙華、狐のカミソリのすっくとした立ち姿が印象深い。現在の東京の高層住宅地の敷地にもだいぶ前に一つ見つけたが、年々数を増やしてあちこちに見かけるようになった。彼岸花ともいい、根には毒があること、花の後に葉が出ることなど不思議さを募らせるが葉をまじまじと見たことがない。赤い花だけではなく白いのもあるというが「やはり赤でしょ」と思うのは私だけかもしれない。
お彼岸の食べ物といえば何といってもおはぎである。田舎のおはぎは子供にはぼってり大きくて、食べるのに一苦労したものである。そのうち上品に小さくまとめて黒ごま、きなこなどが登場した時はうれしかったものである。今となってはあの恐怖のぼってりした大きなおはぎが懐かしいから不思議である。最近は手作りよりも市販品を買い求める向きが多いようである。そしてお彼岸とは限らずスーパーなどでは日常食としてお目にかかるようになった。それも和菓子コーナーにもあるが、テイクアウト弁当のコーナーに並んでいる。おはぎはもち米とうるち米を合わせた飯をはんごろしにしたものをにぎり、餡で包んだものである。餡で包む作業は慣れないと意外とむずかしいが、奥多摩の郷土料理本には巻きすにぬれふきんを広げ飯を餡で包む方法が記載されている。考案者は現在80歳を超えてなお、お元気で山菜や漬物など若いころからの知恵の語り部として活躍されている。
餡にする小豆の赤い色が厄を払うとされて、行事食に小豆はよく使用される。代表的なものとしてはハレの日に作られるお赤飯などがある。おはぎの小豆餡も邪気払いの願いが込められているというこの伝承は大切にしたいものである。
ちなみに9月20日は敬老の日、23日が秋分で祭日が続き、21日は十五夜になる。
満月にお団子を供え、ススキを飾り、家の明かりを消して月をめでる縁側の情景が懐かしい。都会でのベランダでする月見も悪くはないが、どこか一抹のわびしさを感じるのは、ススキを手に入れるのに花屋で購入することも一因かもしれない。
大久保 洋子
次回は、10月8日 寒露(かんろ)です。