二十四節気の12番目が大暑で 字のごとく一年で最も暑くなる季節である。
特にコロナ禍が長引き、海山行きを断念した方も多い2年目を迎えようとしている。
昭和30年代初期、真夏の子供たちは、真っ黒に日焼けして夏休みを謳歌していた。
私の郷里である群馬の夏は、何といっても雷である。「上毛かるた」に「雷と空風 義理人情(らいとからかぜ、ぎりにんじょう)」とあり、まさに夏の「かみなり(雷)」、冬の「からっかぜ(空風)」は生活に染みついていた。夏の空は青さがひときわ濃く、真っ白な入道雲が沸き、それが一転にわかに掻き曇ると雷が空を割いて落ちる。縁側から大スペクトルを見るようにドキドキしながら、雷鳴に耳をふさぎながらも、あの辺に落ちた、こっちに来るなど怖いながらに興奮していた。すぐ近くに神社があり、大きな杉の木に雷が落ち、大木の割けた傷跡は印象的であった。当時の家屋は引き戸が金属レールで、縁側に雷が落ちて大事故になることもあった。なぜか蚊帳(かや)の中は大丈夫と言われていた。今は蚊帳といってもわからない人も多いと思うがなかなか風情があったと思う。
夏休みには河原で泳いだ思い出が印象に残っている。近くの河原へ必ず梅干しを持って上級生も交えたグループで泳ぎに行ったことが懐かしい。川に入って遊んでいるとリーダー格の上級生が名前を呼んで川から上げさせる。冷えた体を熱い河原の石を背にして、太陽のひざしに温められながら、梅干しを口に含むとしびれるように酸っぱいあの味が何とも言えなかった(当時の自家製梅干しの塩分は20%以上であった)。真水に浸かった体に塩分補給は理にかなっているが子供たちにそんな理屈は話さなかった。どのタイミングで川から出させるのかというと唇の色で判断するという。現在はあの魅力的な河原遊びは禁じられ、川のそばには立派な市営プールができ、釣りも鑑札を買わないとできないということである。
夏の食べ物といえばスイカであるが、冷蔵庫がないころは井戸で冷やしていた。井戸水は地下水(群馬あたりは約15℃とか)なので一年中一定であり 地上の気温が最も熱い夏は冷たく感じ、冬は逆に温かく感じる。収穫したての夏野菜なども井戸で冷やし、その味と香りなどは風景とともに思い出となっている。冷蔵庫がない頃は町の氷屋で氷の塊を購入し、目打ちと金槌で割って砂糖をかけて食べていた(かき氷屋の氷)。透明な氷は本当にきれいで食べるのが惜しいくらいだったが、後年甲子園名物「かちわり氷」という名を聞いたときは「これこれ」と懐かしかったものである。現在、冷菓は季節を問わず身近になった分だけ感動や味わいが薄れている。
大久保 洋子
次回は、立秋(りっしゅう)です。