くらしの歳時記

1月5日 小寒 しょうかん
※2024年は、1月6日です

     あけましておめでとうございます。お正月はいかがお過ごしでしょうか。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

     さて、1月5日は寒の入りです。つまり二十四節気の1つ小寒で、1年で最も寒い時期の始まりです。1月20日の大寒を含め春分の前日までの約1か月を寒の内といい、寒中見舞いを出すのもこの時期です。

     寒の水は、微生物が少なく古くから薬効があるとされ、江戸時代には、日本酒の仕込み水として使われ、寒造りとか寒仕込みとよびました。また、7日は、邪気を払う七草がゆ、11日に行う地域が多い鏡開き、15日の小正月は小豆粥を作り、正月の飾り物を焼くどんど焼き、左義長、鬼火焚きなどと呼ぶ無病息災や豊作を祈る火祭りなど行事が続きます。

     これに、農事の行事が加わるとさらに行事は多くなります。江戸時代の農家の日記をみると、1月の約半数は、大小さまざまな行事があり、そのたびに使用人は休みをもらい、通常は口に出来ない酒や魚料理を楽しんでいます。寒い日々、祈りを通して乗り越えてきた人びとの暮らしがありました。

     私が子ども時代を過ごした山陰の浜田市は、漁港の町。豊富な魚が食べられましたが、日本海の冬は厳しく、獲れる魚種も限られます。この時期、楽しみな魚は、河豚でした。通常フグと呼びますが、濁らずフクと呼びました。小学校から帰ると、水を張った鍋に河豚の骨付き肉をみつけると、ワクワクしたものです。夕食は、ちり鍋に決まっていたからです。河豚は、手押し車で売りに来ました。選んでからその場でさばいてくれますが、雄か雌かで大いに異なります。雄なら白子(精巣)がありそれももらいますが、雌では猛毒の卵巣です。骨付き肉の血液をとるため、水でさらします。白子には塩を振り、または塩水で洗い、鍋に入れますが、口の中でとろけるミルクのような味で、子ども心にもおいしいものだと思いました。

     そんな冬のある日、父が出張で母と私と弟で、いつものようにちり鍋を食べていました。その時、母が異常な大声で、「すぐに吐き出して!」と叫びました。白子がやや黄色味を帯びていたのです。卵巣を食べたのだと直感しました。冬には、時々ふぐ毒の犠牲者が出ることを聞いていた私は、これで自分の命も終わったのかと感じつつ、意外に落ち着いていた気がしました。塩が多く少々硬くなっていたのかもしれませんが、皆無事でした。その後も河豚のちり鍋は、冬の楽しい家庭食で、高級料理と知ったのは、郷里を後にして東京に来てからでした。
     

    江原 絢子

    次回は、1月7日 人日(じんじつ)です。