7月7日は五節供のひとつ「七夕」である。その「たなばた」と聞いて私の脳裏に浮かぶ風景は懐かしい「昭和の街」の七夕である。笹竹に、願を書いた短冊を飾りつけたのは小学生までであった。小学唱歌に「たなばたさま」があるが昭和16年に作られたものだという。手仕事の上達や厄除けも願って飾った笹は川に流したがそれもやがて禁止になり、だんだん笹竹は小さくなりやがて飾ることすらしなくなった。彦星と織姫と天の川とその由来話は天体の不思議を身近に思うきっかけとなっている。そして 七夕は夕方から星空が見える夜の行事でもある。そして当日は笹飾りの短冊に願いをかくために墨をする水を集めるところからはじまる。朝早く、里芋畑(よその畑)に行って里芋の葉から「朝露集め」をする、きらりと光る露の玉のきれいなこと、器にとると魔法のように消え水にかわるので、葉の上で寄せ大きな玉にしたことが忘れられない。
夕方には笹飾りは家々の軒端に飾られて、街中の商店街では何十倍もの大型の飾りがトンネルのようになり、夕涼みを兼ねて近在の人々でにぎわったものである。現在では仙台や平塚の七夕が有名だが、コロナ禍でそれもままならない。
七夕の食べ物には特別な記憶がないが、素麺が織物の糸になぞらえてとりあげられていることが多い。その素麺であるが群馬出身の私の記憶では素麺ではなく「冷麦」であった。麺の作り方には切り麺と延ばし麺があり、素麺は延ばし麺で生地を延ばして一本の麺にする。対して切り麺(うどん,冷麦)は生地を平らな面状に伸ばしてたたんで切ってつくる。ちなみに稲庭うどんは延ばし麺である。最近播州は龍野を訪ねた時キオスクで素麺の「ふし」を見つけておもわず購入した。素麺を竿にかけて曲がったところを「ふし」といい、U字型をした麺となる。小豆島では素麺作りの見学をしたが見事な風景に感嘆したことを思い出す。
大久保 洋子
名所江戸百景 「市中繁栄七夕祭」 広重
国立国会図書館デジタルアーカイブ
「七十一番職人歌合」素麺売りと豆腐売り
(室町時代中期の1500年末ごろに成立したとされる)
図は明暦3(1657)の写本 国立国会図書館デジタルアーカイブ
次回は、7月19日 土用(どよう)です。